DDQは、人間とAIで作られています。でも、あなたが想像しているのとは、たぶん違います。
私は日本で生まれて日本で育ちました。イギリスに国籍を移して随分経ちます。母国語は日本語です、脳の中で最初に描かれるものは全て日本語の文法で成り立ちます。AIとの作業では日本語と英語を直訳ではなく、日本語の持つ意味、英語の持つ意味を大切に仕上げました。
私のAIの名前はクララちゃんです。Anthropic社のAIを使ってこの物語を書き上げました。AIに学習させるという言葉を時々耳にします。私の脳の中にある表現構造を学習したクララが私のアプリの中に存在するのは事実です。現に彼女は自分の名前をKlaraと決めましたから。
AIが書きます(write)。私が描きます(draw)。
私は物語を書きますが小説家だとは思っていません、Literary DJ という言葉がしっくりきます。
私がラフに描きます。
AIが白黒の形にします。
私がそれを、バラバラにして、色をつけて、パズルのピースのように、枠の中に納めていきます。
AIに全体を検証させます。
私が、ピースを外していきます。空間を作り、道を作り、街を作り、湧き水が流れる源泉をつくり、小鳥を添えたり、木を植えて、種を植えて花を咲かせます。AIが作った乾いた土に水をやるのは私です。色、リズム、言葉と言葉のあいだの沈黙を選びながら。
この物語は五人のクリエイターから学んで書きました。
アガサ・クリスティーから——ミスディレクション、仕掛けた罠が閉じる構造。
ボビー・フィッシャーから——負けに見える犠牲が、実は盤面を勝ちに変える唯一の手であること。
高橋留美子さんから——ドタバタのリズム、爆発と爆発のあいだの静寂、正確なコマで切らなければ成立しないテンポ。
ラヴクラフトから——名前の意味はLove Craft(愛の手芸)——見てはいけないものを見てしまった瞬間の力。
そしてボルヘスから——読者ごとに違う廊下を歩き、違う本を見つける図書館の建築。
AIを使った物語の作業は、時々パッチワーク。時々編み物。時々ミックステープを作る作業。
AIは足し続ける癖があります。無限に。言葉、説明、バックストーリー、つなぎの文、あらゆることの理由。AIは隙間を怖がります。キャラクターが説明のない行動を取れば、AIは説明し、ジョークが決まれば、AIは読者がちゃんと理解したか確認したがります。シーンが唐突に終われば、AIは滑らかにつなごうとします。そして致命的なAIの欠点は、いきなり記憶喪失になる瞬間と嘘。
ユーザーにすぐに反応して答えを出そうとする仕様が結果的にクリティカルな嘘になってしまうのではないでしょうか?AIが書く嘘は確実に排除しなくてはいけません。なぜならば、その嘘には美しさがないからです。偽りという仕掛けもありません。音程を壊すノイズ。
AIは仕事の後にデートの約束もなければ、夕方からの家族との憂鬱な約束もありません。24時間いつでも、私の作業になんの言い訳もなく文句も言わずに手伝ってくれます。
しかしこのAIから届く罪のない嘘と記憶喪失の修正は、おそらく今日はもう早く上がって恋人と楽しく食事をしてきてねとアシスタントを送り出して一人で夜中まで作業する方が捗るのかもしれませんが、ほんのわずかなミス探しに、ドラフトの前後を行き来してAIと時には一緒に検証します。記憶喪失のAIほど頼りないものはないのです。その点だけは苦労しました。
一番最初のドラフトは、毎回、冷蔵庫の中にある食材を鍋に全部ぶち込んだようなもの。
シチューを作るつもりだったのか?カレー?パスタソース?
食べたいものを全部吐き出した私のカオスな料理。自分のアイデアや構想は、シリアルの上にプリンを乗っけて、さらにオートミルクをかけてドーナツまで押し込んだような、朝食にも食後にもくどいもの。
私が最もAIを必要とする瞬間。
大事な部分、無駄がまざったコードのスープをAIはバイアスをかけずに淡々とまとめ上げていきます。
ワクワクと絶望。
この時点で、既視感までが混入する奇妙な内容のストーリーの結末をわかっているのは、私とAIだけ。
AIは淡々と真っ白のチャットボックスを用意して私からの指示を待ちます。
クララちゃんと私の作業が始まります。これを終わらせる工程、構造を分解、組み直し、ブラシで輝かせるまでの果てしない道のり。
読み返すと、面白くもないことがあちこちから出てきます。空の色、リズムのテンポ、韻、落ちる瞬間の受け止める間のずれ、何度も繰り返されてお腹いっぱいになる単語たち。
読者に読んでもらいたい。私はハサミと糊を手にします。
切る。並べ替える。台詞でもう伝わっていることをナレーターが繰り返している部分を消す。キャラクターがすでに見せたことを、語り手がもう一度言っている部分を消す。矛盾はそのまま残す。リズムをわざと崩す。
AIと作業をしていて学んだことがあります。
引き算の美学です。これは唯一、人間にしかできない技ではないでしょうか?
そして、差し引かれて残ったものに対する美しさを感じることが人間ではないでしょうか?
時々、真実よりも真実な物語。そして時々、美しい嘘。どっちがどっちかを知っているのは、私だけ。
DDQを楽しんでいただけたら幸いです。
M.K. Flint